2024/01/28
大山崎町の荏胡麻(えごま)油の加工生産者は神人(じにん)と呼ばれ神事も行なっていたそうです!
油祖 荏胡麻(えごま)の神様「離宮八幡宮」に参拝にいきました!!
JR山崎駅から徒歩3分の場所に「離宮八幡宮」に到着致します。
荏胡麻(えごま)とはシソ科の植物で「え」「あぶらえ」「じゅねん」などとも呼ばれています。
荏胡麻(えごま)とはシソ科の植物で「え」「あぶらえ」「じゅねん」などとも呼ばれています。胡麻と付きますが、ゴマ油のゴマとは違う植物です。
日本でも「えごま」のは、肉料理でよく食べられています。「えごま」の高さは1mほどになり、10~11月には実が出来ます。
その実を絞ったものが「えごま」油です。シソ油と呼ばれることもあります。菜種油が普及するまで日本で油と言えば「えごま」油でした。
平安時代に離宮八幡宮の宮司が「長木(ながき)」という搾油器を発明しました。油は石清水八幡宮を初めとする京都の寺社で灯明として用いられていたほか、宮中にも献上されていました。
全国で栽培されたものが大山崎町の離宮八幡宮に運ばれ「えごま」油を作られていました。
当時は、油の生産者は神人(じにん)と呼ばれ、油の生産だけでなく、神事に係わったそうです。
JR山崎駅側の門になります正門は西側
貞観元(860)年に大和大安寺の僧行教が豊前の国宇佐八幡神の分祀を受け嵯峨天皇が営んだ河陽離宮に鎮座させたことに始まるそうです。
平安時代の末に荏胡麻油生産が活発化になり鎌倉時代には油座が結成され、神社は座の会所となり大いに繁栄したそうです。
油祖像は翁が革袋に荏胡麻油を入れて、灯油として八幡神に献納している姿をかたどったものだそうです。
黄色の中に黒のマークこれは『全国油脂販売業者共通の店頭標識』なのです。製作は前衛美術家集団「具体美術協会」の会員、嶋本昭三さんです。八幡宮遷座1100年を記念して全国に募集、1957年に厳正な審査により選ばれました。
「中心の黒は油、まわりの黄色は光。油の光はあまねく人の心を、人の生活を明るくする」との心が抽象化されているとの解釈もあるそうです
本殿に参拝致します
子供が受験に合格出来るように祈願いたしました。
大山崎地区で鎌倉時代に入ると生産量は増加し、神人たちは油を安定的に供給するために油座という同業者組合を設けました。京の都を相手に大山崎油座は商売を順調に伸ばしていきました。
西は九州、東は美濃までと広大な販売網で商売をするうえで、関所通行料免除の特権は特に大きな利益をもたらしました。遠方へ販売に出かけた際には、販売先の特産品を仕入れて都に持ち帰り販売するという大変合理的な商売をしていました。
司馬遼太郎著の「国盗り物語」で有名な斎藤道三は、離宮八幡宮油座の油商人として荏胡麻油を売ることから始まり、のちに美濃の国主にのぼりつめました。
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